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深川家住宅「揚羽の蝶」

深川家は、旧小城城下と鎮守の祇園神社を結ぶ参道沿いに位置する旧造り酒屋の町家です。

裏の土蔵で酒造りが行われ、主屋の一角を占めていた店頭で、酒の小売りが行われていました。

深川家がある上町・中町・下町は、江戸時代前期の寛永年間に小城鍋島藩初代鍋島元茂に
よってつくられたとされています。

この三町では、祇園川の清流を3本の水路によって取り込み生活用水にあてるなど、
江戸時代の都市計画もうかがわせます。

深川家の味わい
深川家でのライブ風景

シャンソンノマードLIVE / リュドヴィック・ベー・アー&武田洋子

深川家の家曳き

家曳きって何? 家曳きは建築物や橋梁、重量物などの移動工事の事です。

家曳きは佐賀県建築土木課の表通りの歩道新設計画から始まる。

以前は表側1200cm程の軒先に家付地面がありその先にきれいな小川がありました。今は小川にはコンクリートの蓋がされています。
それが国の指導で幅7m以上の道路については安全上両サイド1800cmの歩道が必要となり下町から上町の両側の家は全て切断か建て替えと言うことになりました。

当家は重要文化財でもあり佐賀県建築課との話し合いで家の切断は難しく家曳きとしました。
問題は当時家の中庭を流れていた小川ですが、1800cm引くと座敷が小川を跨ぐ格好になり湿気が心配されましたので小川も移動することとなり流れを止め小川も移動しました。

家曳に当たっては江戸時代の建築法は構造的に礎石の上に家が座っているだけでしたので家の重みで揺らぎを保っている構造です。
現在の地震対策建築法に適合しないことがわかり礎石の下を掘り下げ礎石と家を止める構造を取りました。 地震対策法に沿わなくても実際には200年地震台風水害降雪には耐えてきた実績があるのに意味もない工法を新たに施工することには疑問もありましたが新たな建築基準法と言うことで施工しました。

ただし地表に顔を出している礎石は10cm程ですが地中には50cm程埋め込まれており全ての礎石を掘り出すには人が入れる様、作業がし安い様家自体を1m程上げる必要がありました。主屋、蔵ともで120坪あり「稀にみる曳家工事」となりました。
コンクリートの溝を構築するため油圧ジャッキ100台,コロ100個牽引ジャッキ30台を使用し一旦横の庭に家曳工事で母屋を移動させました。
当時は同調ジャッキとかなかったので親方の笛一つで持ち場に付いた作業者が笛一吹きでジャッキを手動で1mmづつ上げてコロを咬ませ牽引ジャッキで1mmづつ移動させる方法です。

親父が作った庭園を壊すには忍び難いものがありましたがやむを得ず一日に30cmの移動幅で移動させました。

その後小城文化課の発掘調査が入り地表を60cm堀りさげ室町鎌倉時代の発掘調査をした後、礎石栗石の固定を終え再度曳家を行い、新しい位置に据えました。その間虫を喰った柱、剥落した壁の点検等で約16ケ月を要しました。

腐った柱はなるべく補修して使用し剥落した土壁は昔の工法で化学肥料の入っていない泥、藁、縄、竹を鹿島地区から集めて来て泥は昔の土壁と混ぜて半年寝かせ菌の培養を図り接着剤としての菌を育て漆喰も昔ながらの工法で塗りました。

漆喰塗は京都で寺社仏閣の漆喰塗技を極めた漆喰塗専門の塗師で、100年は保証するという事です。その為か後の熊本地震の時にも瓦は数枚落ちましたがヒビも入らず美しい景観を保っています。